| 今読んでいる本 |
ふぉん しいほるとの娘 吉村昭 著
最近はネットに割く時間が多くなり、読書の進みが以前の約半分。 睡眠時間は6時間で、以前より1.5時間くらい減っている。
以下概要。まだ全体の1/6くらい。
シーボルトはドイツ系のオランダ人。当時オランダ人は出島に隔離されていたが、シーボルトは医学、地理学、植物学、天文学の多方面に秀で、西洋文化の普及に多大なる貢献を した。 その 功が認められ、出島以外でも歩き回ることを例外的に許された。 当時日本は鎖国していたため、地理的なことは勿論、すべてベールに包まれていた。イギリス、フランス、ロシアをはじめ世界中がそれを知りたがっていた。 シーボルトがオランダ政府から申し付けられた任務は、そのベールを剥がすべく、日本の地図の入手、動植物の生態調査、日本人の病気、寿命他多岐にわたる。 医学を広めたのはその隠れ蓑だった。 鎖国の中、出島に限定し、唯一貿易を許されたのはオランダと中国の2つ。彼らは一般の日本人との接触は固く禁じられていた。 彼らの出島での殺伐とした生活を潤す唯一の楽しみは遊女と遊ぶこと。彼らは気に入った遊女 を出島に囲うことを許されていた。シーボルトも例外ではなく、あるとても美しい遊女に一目ぼれし、出島に囲った。当選の成り行きとして、その遊女は身ごもった。当時ハーフは日本人からまるで獣のようにみられ、日本社会の中で生きていくことは極めて悲惨であった。ただ長崎はその中でも外国人を 見慣れているという点で、偏見がかなり少なく、まれにハーフが一般町民の間で生きていくことがあった。でも遊女の殆どは身ごもった場合、意識的に胎児をにダメージを与えて死産にすることが多かった。 でもシーボルトは当時、特に医学の面から、神がかり的に次々と難病を治していたことから日本中に知れ渡りその評判は絶大なものだった。結果としてそのシーボルトの遊女も尊敬の念で見られ、身ごもったときも、生まれてくる赤ん坊はシーボルトの二世として、大いに期待され、ハーフとしては例外的に、日本人の中で尊敬の念を持って生活できる環境があった。 そして遊女は無事出産した。
今朝はここまで。 --------------- ここまでで、印象に残ったこと
やっぱ、男は女に優しくしなくちゃ つていうこと。
遊女はシーボルトに対し全く愛は感じていなかった。SEXは苦痛以外の何ものでもなかった。シーボルトが一時長崎から江戸に出かけた数ヶ月は 遊女にとってはとても幸せな日々だった。彼女の望みは、シーボルトが任期後日本を離れるときに渡してくれてる 多額の金、その金で余生を優雅に暮らしたいということ。 ただシーボルトは遊女のことをこの上なく愛していた。 彼女が身ごもったとき、シーボルトはこれまでのSEXは感情丸出しで、荒々しく扱っていたが、身ごもったと分かってからは、別人のように優しくしてくれた。そのことは彼女にとって 意外であり、そのことにより、彼女の心に少しずつ愛が芽生えてきた。
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| 酒癖が悪い男の行く末 |
悲惨だね。でも後世に名を成しただけいいかも。
吉村昭の「海も暮れきる」 読み終わった。 自由律俳人尾崎放哉の伝記小説。 http://www2.netwave.or.jp/~hosai/
尾崎放哉は42歳で結核でなくなった。 吉村昭は20歳のときに結核にかかり、一時は死を覚悟した。だから尾崎放哉の伝記を書きつつ自叙伝的な要素もある。
尾崎放哉は東大を出て一流会社の幹部までなったが、酒癖が悪くクビになった。その後も酒癖の悪さは治らず、ついに妻にも親にも見捨てられ、傷心のもと小豆島に移り、句作をしながら仲間と地元の人に無心しながら最低生活のもとで死んでいった。 寝たきりになってから、妻にもう一度会いたいと手紙を出したが、返事はなく、落胆したが完全に諦めることは出来ず、最後写真を抱いて死んでいった。
尾崎放哉が寝たきりになった後、身内以上に献身的に看病をしてくれたのは近所の老婆であった。彼は死の直前になっても唯一の身内である妹夫婦や離婚同様の妻に連絡することをかたくなに拒み死んでいった。
親族から見放され、多くの友人からも見放されたが、最後自分を経済的に援助してくれた句会仲間の僅かな友と、世話になった老婆に対し彼は心から感謝の気持ちを持ちつつ死んで行った。
あまりにも身勝手な人間は結局は身内からにも見放されることはやむをえないのかも。
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| 夫の責務 |
長英逃亡の終盤。逃亡生活中蘭書の翻訳をして生計を立てていたが、突然幕府が蘭書翻訳禁止令を出し生計の道が閉ざされていった。 このままでは妻子を飢え死にさせてしまう。昔の医者稼業に戻りたいがお尋ね者の身ではそうも行かず途方にくれていた。突然ひらめいたのが、薬品で顔をやけどさせ似ても似つかない顔にしてしまえば医者をやれるかもしれないということ。そして実際行動に移した。 日本のためとは言いつつ、命の次に大切な金が入らなければ家族が飢えて死んでしまう。そのとき大やけどをしてまで家族を養うため、激痛を伴い、みるに耐え難い顔にしてまで養ってあげようという長英のすさまじいまでの強い犠牲真にただ圧倒される。 自らを振り返ってみれば、これまで仕事を家族を養うためにやっていると言う意識が低く、仕事は楽しくなくちゃ といって半分は趣味的にやってきたが、長英の行動を見て、定年が秒読み段階に入っている我が身を省みて、死ぬまで家族を養っていこうという覚悟に欠しいことを自覚した。 こうなれば、死んだ気で、この精神と肉体が続くまで、働き続けなければ、と意を決した。
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| 犠牲的心 |
吉村昭の「長英逃亡」もいよいよい終盤に差し掛かった。吉村昭の小説は史実を大切していると聞いた。その点で言えばもしかしたら司馬遼太郎に勝るのでは? と感じている。 長英が脱獄し逃亡生活する中で実に多くの人達に助けられている。シーボルトから蘭学を学んだまな弟子で語学力は当時の日本一との評判を得て、蘭学塾を開き、門下生や蘭学仲間 達は、生命の危険を賭して長英の逃亡を助けた。 しかも直接の友人ではなく、友達の友達さえ、同じように身の危険を顧みず、逃亡を助けたといあう事実に深い感動を覚えた。 これは、当時日本が外国からの侵略の危険にさらされ、鳥居という蘭学を異常なまでに嫌った男によって濡れ衣を着せられ永久に牢屋に入れられたが、このままでは死ねないと、脱国を決意し、軍事の書物を翻訳することで日本を救いたいという高い志に人々が共鳴し、犠牲的な行動を取らせたのかもしれない。 翻って現代の日本を見るに、人々は平和病とも言える状態に陥り、危機意識に欠しく、地球温暖化に多少の危機はあるものの、自分の命が危ないというまでの危機感はない。 友情なんてなくたって、平気で生きていける平和な世の中なのかも。
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| 天璋院篤 |
2008年01月29日
今日から読み始めた。 文庫本と違い、大きいし厚いので、重くてカバンにずしりと来る。
それにしても、宮崎あおいって16歳からの役がやれるんだから希少価値だね。純情きらりだって女学生役がよく似合ったし。 可愛いけど、結構あの手は気が強いのが多い。 そういえば、新聞の広告雑誌に、あおいちゃんがキャストにいちゃもんを付けているとかいう記事が載ってたっけ。十分有り得ることかもって思った。 似たような話で、ぺん吉が大好きだったおはなはんを演じた樫山文江も気が強かったとか。 実像は、実像、役は役。役の中の篤姫は実に好感が持てる。
以下余談 気が強い女は嫌いだ! って妻にいったら、世の中に気の弱い女なんて存在しない と断言した。 確かにそれはごく狭い体験ながら肌で感じる。
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